つまらないスマホゲームの共通点は「広告視聴」がデイリールーティンに組み込まれるゲーム

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年間でたくさんのスマホゲームが新作リリースされていきます。その中で、多くの管理人の私が「またこのタイプか…」とため息をつくゲームがあります。それは、「広告を視聴すれば、育成素材やゲーム内通貨を差し上げます」というシステムを軸に据えたゲームです。

一見すると、プレイヤーは無料(自身の時間を対価に)でアイテムを得られ、開発者は広告収益を得られる、Win-Winのモデルのように見えます。しかし、この「広告視聴ありき」のデザインこそが、ゲームを本質的につまらなくしている最大の要因だと私は思います。

ゲームの没入感を破壊する「強制CM」

ゲームの醍醐味は、その世界観に没頭し、キャラクターを操作し、課題をクリアしていく「プレイ体験」そのものにあるはずです。しかし、「広告視聴型」のゲームでは、この体験が意図的に、そして頻繁に中断されます。

  • ステージクリア後、「広告を見れば報酬が2倍!」
  • 育成素材が足りない時、「広告を見れば即時ゲット!」
  • スタミナが切れた時、「広告を見れば全回復!」

特に、無課金で攻略している人からすれば、絶対に欠かせないデイリールーティンになります。そうなってくると、「またこれを見なければいけないのか…」と嫌気が指してくるのです。

プレイヤーは、ゲームをプレイしている時間よりも、興味のない別のゲーム60ほど秒動画を「待たされている」時間のほうが長くなることさえあります。これはもはやゲームではなく、広告視聴という「労働」の対価として、ゲームの続きを遊ぶ権利を細切れに得ているにすぎません。

「楽しさ」から「作業」へ変質する育成

こうしたゲームデザインの多くは、育成素材の要求量が意図的に多く設定されています。1日に何回も視聴させたりすると誰もが嫌になることでしょう。ゲームプレイではなく広告を見るのが仕事のように感じてしまうからです。

本来、ゲームの「育成」は、キャラクターが強くなる喜びや、戦略の幅が広がる楽しさを味わうためのプロセスです。しかし、広告視聴が前提のバランスでは、育成は「楽しさ」から「こなすべき作業」へと変質してしまいます。

「ああ、またあの素材のために広告を10回見なければならない…」

プレイヤーがそう感じた瞬間、ゲームへの情熱は急速に冷めていきます。ゲームを「遊んでいる」のではなく、「やらされている」感覚が強くなるのです。

ゲームデザインの安易な「逃げ」

もちろん、開発・運営にはコストがかかり、収益モデルが必要なことは理解できます。しかし、「つまらない」と評されるゲームの多くは、ゲーム性そのものではなく、いかにプレイヤーに広告をクリックさせ、視聴させるかという点に設計の重点が置かれています。

魅力的なストーリー、革新的なバトルシステム、奥深い戦略性―― そういったゲーム本来の面白さを追求するよりも、安易に「広告視聴によるインセンティブ」に頼るほうが、短期的には少しでも収益を上げやすいのかもしれません。

しかし、その結果として生まれるのは、中身のない、似たようなシステム、過度なインフレ、そして何より「つまらない」というプレイヤーの冷めた評価です。

また、広告で回収すれば良いと考えてしまうと、中身を手抜きし始めている証拠でもあります。中身で勝負しないと今のスマホゲーム戦国時代で勝ち抜くことはできません。

まとめ

私たちがスマートフォンに求めているのは、広告を見るための「労働」ではなく、心を揺さぶる「エンターテインメント」です。安易な広告モデルに依存し、プレイヤーの貴重な時間を奪うゲームは、間違いなく手抜きのゲームに成り下がりますし、その結果早い段階で淘汰されていくでしょう。

開発者の方々には、プレイヤーを「広告視聴者」としてではなく、「ゲーマー」として尊重し、純粋に「面白い」と思ってもらえるような努力が必要です。そこから逃げて、課金を促すようなコンテンツを作れずに広告にすがっていては良いゲームになりません。低コストで広告で逃げ切る戦略なら良いのかもしれませんが…。

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